その延長線上になったか否かは定かではないが、愛人バンク等「夕暮れ族」事件などが起きたのもこの頃以降だった。同時に女性の喫煙も盛んになり、昼休みに集まる営業部員も国際局女性陣も1名を除いて常連3名は皆喫煙者だった。
このサンローズでは珈琲を飲みながら、昼休みが終わる午後1時まで本を読んだり世間話をするのが常であったが、時々週末にスキーに行こうだの、テニスに行こう!とアウトドアの活発な遊びの打ち合わせになることもあった。仕事の忙しさを凌駕するエネルギーの使い道を沢山持っていたのだろう。行動派のグループが自然に出来上がっていたのだと思う。
実際の画像ではないが、イメージ的になこんな感じだった。 Google画像
当時の若手ビジネスマンの聖書とも言われた週間誌「ビッグコミック・スピリッツ」に連載されていたホイチョイ・プロダクションの「気まぐれコンセプト」が、まさに中央宣興そのものの世界だった。この漫画の主人公や登場者の設定が銀座の広告代理店だったからだ。これを読みながらそのネタになるような話で盛り上がる中央宣興社員だった。
気まぐれコンセプトのネタは、まさに広告代理店の世界そのまま Google画像
1980年当時はまだ東京ディズニーランド(1983年開園)もオープンしておらず、田中康夫の「なんとなくクリスタル」がメディアに取り上げられ、その詳しい東京都心のブランド店案内が若者達、特に近郊あるいは全国各地から東京に遊びに来るおのぼりさんたちの観光ガイド・マニュアルとなり、にわかシティ・ボーイ、シティ・ガールなどが町に氾濫した。この頃スタイルはサーファールックが全盛で、ハワイのレインスプーナーに代表されるアロハの裏地を表に使用したボタンダウンのアロハシャツに、少しテーパードのファーラーのパンツ(筆者は絶対に穿かなかったが・・)等を穿いて原宿・六本木を闊歩するのが流行った。女性はこぞって松田聖子、小泉今日子などのレイヤード・スタイルの髪型を真似したため、後ろから見ると皆同じに見えたなどという逸話もあるほどの時代だった。
今もまだ人気は衰えていない。
サーファールックの髪型は芸能人中心にアッと言う間に流行った。 雑誌より
こういったシティ・ボーイ、ガール達は日が暮れると六本木のスクエアビルなどのサーファー系ディスコに群がるのが毎夜のお約束で、「キサナドゥ」「ナバーナ」などは全国的に有名になった。同時にこれらを毎回特集した「雑誌ファイン」などが全盛期を迎えていた。ユーミンのサーファーを歌い込んだヒット曲につられてサーフィンを始める者もいたが、実際に自分でサーフィンをする者は意外に少なく、車の屋根にサーフボードを積んでカッコ付けてはいるが、実はボードはボルト締めで取れないようになっていて、表参道辺りを車で流して可愛い娘をナンパする為の小道具だったりもした。このあたりはホイチョイの気まぐれコンセプトそのまま?
雑誌ファインは雑誌ポパイなどと同じモデルを使用し人気があった。 Googleより
三井物産スポーツ、ニチレイ・スポーツ、片岡物産、デサント、サロモンジャパンなどの社員バーゲンセールに行ったが、スキーウエアや用具と一緒にハム・ソーセージ、ワインなどが並んでいて妙な気分だった。この頃のスキーウエアは殆どこうした社員バーゲンで購入した。ブランドで言えば特に女子はリバティ・ベルのホワイトコーティング・ダウンジャケットにエレッセのトレンカーパンツが流行りのピークだった。
当時人気ブランドのベスト2! Google画像より
ホイチョイ・プロダクションの「私をスキーに連れて行って」の映画が封切られるのは1987年なのでまだまだ先。しかしホイチョイが映画の素材にスキーブームを選んだ理由、そのブームの下地を造ったのは間違いなく団塊世代のスキー狂い達であった。この団塊世代は自分達が狂った頃より少し後に「私をスキーに連れて行って」が流行ったので、残念ながら大ヒットした話題の映画には少し乗り遅れた訳だ。
これが癪に障ったのだろう、アンサーソングならぬアンサー映画で「じゃー、オジサンがスキーへ連れて行ってあげよう!」が企画されたと言う話が在る。出演料なしでも出たいと言う団塊世代の俳優が山と居たらしいが、映画が完成しても何処も配給しそうに無いという事で、没ったと言うバカ話を何度か聞いたが・・・本当だろうか?
しかし、この手の仲間内の話の盛り上がりは、時としてその場限りの「ウソ盛り上がり」の様相をなす事があることを知ったのもこの頃だ。筆者はなんでも疑いもせず真に受けることが多いので、仲間内でスキー行のプランが出るとすぐに車を誰が出すか、何処へ行くか、いつ行くか皆の話をまとめようとするのだ。しかし実はスキー行の話はその場だけの盛り上がりで、実際には行かない事の方が多かったのだ。翌朝になり会社で、前日のメンバーに具体的な話をしようとすると「えっ?何の話?」と言われた事が何度かあって面食らった事が在った。
団塊世代だけの会話では、ありえない刹那的なウソの盛り上がりが嫌いで、それ以降若手(と言ってもせいぜい10歳程度しか離れていない)が大半を占めるコンパのような集まりには自然に出ないようになっていった。
一方で若手からは「何時でもマジの新庄さん」というあまり喜ばしくない呼ばれ方をされるようになって居る事を、後になって知ったのだった。逆に「いい加減な新庄さん」と言われるよりは、はるかに良かったのだが・・・。勿論、団塊世代にも、いい加減でファジイな方は沢山いらっしゃる(笑)