この「思う→即行動」の心掛けはチャンスを逃さない。此れを実践できたのがヴァン ヂャケット入社後初めての海外出張時に嫌というほど身にしみて感じた。
その自分の初めての海外出張には事前にひとつの面白い話があった。当時ヴァン ヂャケットでは、定期的に社員をアメリカを中心としたエリアに入社年度順に出張させていた。社員の見聞を広げるのと、自社が扱っている商品のオリジナル背景・匂いを学ぶ機会を与える意味で業界でも珍しい存在だったというか、石津社長の理念が社員を育てる意味でそうさせていたのだろうと思う。
此れは販売促進部内で見聞した話だが、ある時主力商品のダッフルコートが生産遅れか暖冬で大量に余ってしまった。主力商品だけに、さーどうするって事に成って販促部に解決方法等が持ち込まれた。販売を促進する部署だから当然の事だが、未だかってそのように具体的な商品の即売り上げに直結するように切羽詰った案件は持ち込まれたことが無かった。其処で販売促進部は出入りの広告代理店・電通の子会社や博報堂に解決方法を提案するよう要請した。
今風に言うならばソリューションって奴だろうか?話が飛ぶが最近は簡単な言葉を横文字を使う事によって、さも自分達が高度な別の事をやっているかのように見せて、優位に立とうとしたり高い費用を請求するのが大手広告代理店のビジネス手法でまったく好きになれない。
VANブランドも、Kentブランドも当初はメルトン1枚仕立てが多かった。
しかし、電通も博報堂も即効果のある提案は何もしてこなかった。VANさんお得意のプレミアムを付けて売りましょうだの、販売員にインセンティブを付けてダッフルコート1着売る度にいくらかの報奨金を与える方法等、今までヴァン ヂャケット現場が既に行ってきた手法しか提案してこなかった。勿論TVコマーシャルを流し宣伝する方法も提案して来たが、1着売る為に同額の宣伝費用が掛かるような馬鹿な提案を平気でしてくる事自体「門前払い」だった。広告代理店という所は自社が儲からない提案は絶対にしない仕組みになっている事等、まだ筆者は全然知らなかった。
得意先が助かる、喜んでくれる提案であればその時儲からなくても信頼感を得て、その後大きな利益に繋がる仕事を出してくれよう・・・等とはこれっぽっちも考えない所だったのだ。此れは21世紀になった今も全然変わっていない。
結局拉致が上がらず困っていた所、社内で誰かが社長に提案した。「社内の全社員に解決策を提案させて、もし其の案が効果的と判断され採用されたら、其の発案者を世界一周の海外出張に行かせてやるってのは?」という企画が通り、全社員にアイディアを提案させた事があった。約1週間の提案期間を経て幾つかの案が提出されたのだが、其の中に1件素晴らしいものがあった。その内容とはこういうものだった。
当時はダッフルコートと言えばキャメル、グレー、紺の3色が基本だった。
筆者も1975年若林ヘッドの鞄持ちでアメリカへ出張する事になった。入社3年目で海外へ出張させてくれる会社は、バブル前の当時としてもまだなかなか無かった時代だ。おまけに行く先のUSA=アメリカ合衆国は翌年1976年の建国200周年(=バイセンテニアル)を控えて沸き立っている時期だった。
当時日本で発売されたアメリカ建国200年祭関連ムック本
筆者の海外出張はアメリカ本土、サンフランシスコから入って、セントルイス(ミズーリ)、ニューヨーク、ワシントン経由でナッシュビル(テネシー)、フェニックス(アリゾナ)、ラスベガス(ネバダ)、サンディエゴ(カリフォルニア)、ティファナ(メキシコ)、ロサンゼルス(カリフォルニア)といった長旅だった。確か2週間程の行程だったと思う。ちょうど機内ではSugarloafのドント・コール・アス(Don't Call Us, We'll Call You)が何度も流れていた。ビートルズのI feel fineのフレーズを使った何処と無く聴きなれた曲だった。だからアメリカ大陸を横断する機内から視たUSAはこの曲と共に甦ってくる。 https://www.youtube.com/watch?v=i4njPe2_rho