2015年1月31日土曜日

「団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #94.」 ヴァン ヂャケットの社内でのエピソード、その4。

山中湖のヴァン ヂャケット保養施設ヴぁん雅楼・別名モビーディックで、石津社長との夜更けのベランダ会話サロンは更に先へ進んだ。色彩学の話から絵画と写真の話に進んでいった。具象画と抽象画の好き嫌いの話から、ピカソの話まで。石津社長の博識は想像をはるかに超えたエリアまで及んでいて、驚愕した事を覚えている。ピカソの青の時代から晩年の時代まで、更に若い頃はお金を稼ぐためタロットカードの絵やレストランのメニュー等まで描いていたらしいとの話題など、筆者が知らない事まで良く知っておられた。これは2005年に英国にエデンプロジェクトを訪れた際、帰りにパリに寄りピカソ美術館を訪れた際、これら本物を観る事が出来て、30年以上前の石津社長の話を実際に確認できた。
2005年に訪れたパリのピカソ美術館、非常にシンプルな造りだった。

割りに大きな絵が沢山あった。写真撮影可(一部不可)

ピカソが若い頃作ったレストランのメニュー

まだ長い改修に入る前のピカソ美術館

更には筆者が写真撮影好きで何故油絵を描かないかなどの理由等も質問された。そこで大学時代の話をしてみた。国立大学の教育学部の美術専攻科はデザインだけとか油絵だけとかをやるわけには行かない。一応美術の先生を育成するので、デッサン・水彩から始まって、油絵、工芸、彫塑、美術史、色彩学など多岐に渡る領域を浅く広く学ばねば成らなかった。美術専門大学のように、得意ジャンルだけを深く集中して学んだり追求出来ないようになっていた・・・が、写真撮影に関してだけは教師も居ないし授業もまったく無かった。 筆者は1年ほど前のブログでも延べたが、油絵が大嫌いで生涯10枚も描いていない。特に人物に関しては一枚も描いていない。理由ははっきりとしている。人を描写する事が嫌いなのと二日間以上に渡って同じ絵を描き続けられないのだ。緊張感と言うかモチベーションが長く続かないのだ。ひどい実話が残っている。


ある日油絵の授業の時、絵画室でモチーフを正面においてイーゼルを立て、自分で張ったキャンバスを置き、下描きから制作を進めていった・・・。そうして3時間ほど描いて油を乾かしたり、昼食に行ったり、腰を伸ばしたりする。そうして制作を続け日が暮れ、光が変わるころ横浜の丘の上から2時間半掛けて東京の自宅に戻る。で、翌日再び絵画室に行って自分の絵を探すのだが、18時間前そのままの状態で置いて帰った「自分の絵」が自分で判らなかったのだ。二日目絵画室に入ってもなかなか自分の席を見つけられず、クラスの仲間に指摘されて自分の席に着いた事があった。しかしキャンバスの絵がとても自分のものとは思えなく、混乱した事があった。
横国の絵画室はプレハブながら広くて明るかった。

つまり、モチーフを視てその時浮かんだインスピレーションが18時間経つと全然別のものに変わってしまう、前日のイメージが持たないって事だろう。超刹那的・・というより物事に飽きっぽいのだ、それも恐ろしい程。 油絵の具は直ぐには簡単に乾かない。こってりと絵の具を盛って描く人も居るが、元々非常にケチな性格の筆者は出来るだけオイルで油絵の具を薄く延ばして描くのが好きだった。どちらが上だか判らない様な抽象画や人物画は大嫌いだったし、自分でも水彩画のような写実的な絵しか描かず、画家で言えば浅井忠やアンドリュー・ワイエスが大好きだった。 したがって、途中で作業を止めて油が乾くのを待つなどというのんびりした事はまず出来ない相談だった。その上、落ち着きが無い、直ぐに気が変わる、同じ事をやり続けることが出来ない性格はもう完全にビョーキの世界に近かった。これは4箇所通った小学校の通信簿を見ればすぐに判る。全ての担任が生活欄・性格欄に同じような内容を記入している。反論する気も弁解する気もない。しかし短所は上手く活用すれば長所になる。今までの人生それで突き進んできて失敗は無かったと思っている。 したがって、油絵は殆ど描けず、大学在学中は水彩中心に沢山風景画を描いた。


こういう性格のまま4年経って卒業近くになった頃、あの絵画の国領先生と小関先生が「シンジョウは油を描かない上、人物を一枚も描いていない、このまま卒業させて良いのだろうか?」と思ったらしい。其処で、ある時「シンジョー君、油で人物を描かなければ単位を上げるわけには行かない。人物を描かないよっぽどの理由があるなら聞こうじゃないか?」と言われてしまった。其処で、考えた。要は上野の美術学校を卒業した教授二人を説得できれば人物油絵を描かないでも卒業単位を貰える訳だ。筆者は迷わず無理して嫌いな事をするより、教授に名説得のほうを選んだ。 帰りの中央線快速電車の中でも考えた、考えすぎて3つ先の武蔵小金井まで行ってしまったほどだった。 翌日、絵画室に集まった2年生と3年生を入れて50名以上に膨れ上がった定期集会で、2人の教授を前に「シンジョーは何故油絵で人物を描かないのか?」プレゼンテーションをする事になった。要は悪く言えば晒し者だ、しかし幾つもの小学校を転校して場数を踏んだ4年生シンジョー君は怯まなかった。前の日考えた自分なりの論理をご披露したのだった。
無事卒業出来たようだ、しかし卒業式に来たのは同期の半分も居なかった。筆者左端。

約50名が注目する中、こう言った。「人間を描くという事は被写体を作家のインスピレーションのフィルターを通して思うがまま現・再現するものと心得ます。では、その人間という被写体が一番素晴らしいのはどういう時でしょうか?私は人間が美しいのは大きな口を開けて馬鹿笑いをしている時、眼から涙をこぼしながら泣いている時、怒髪天を突くような怒りの時、つまり心の中から吹き出てくる己の感情を体をよじって表現している時だと思うのです。 しかし・・・・歴代の名画にそう云う絵が在るでしょうか?せいぜい微かに微笑んで見えるモナリザくらいなものではないでしょうか?これは、そのように人間が美しい瞬間!つまり感情をほとばしらせている瞬間を油絵では表現できないので、過去の名画には無いのだと思います。モデルに笑い続けろだの、泣き続けろというのは不可能ですよね?だから私はそういう瞬間を表現するには写真が一番適していると思うのです。だからシンジョーは油で人物を描けないのです。」 
 此処まで一気に喋ったら、絵画室の殆どの学生が「そうだよな?」とどよめきながら拍手を始めてしまった。教授二人は「しょうがないなー」と言う顔で反論もしなかった。
中学1級、高校2級の教師免許

 ・・・・この話を聞いた石津社長は大きくうなづきながらも「う~ん」と呻ってしまった。で、出てきた言葉は「人物の場合は誰でも一緒じゃないだろう?描く相手に依りけりだよなー。ダ・ヴィンチだって美人のリザ・ジョコンド夫人が被写体じゃなかったら、あの傑作は生まれていなかったと思うよ。」・・・・遠い夏の日の山中湖には、最後にとうとうモナリザまでが登場するのだった。