2014年11月29日土曜日

番外編 「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」 京都について考えてみた。 

Facebook(以下FB)を始めて1年半が経った。しかし年中スマホでFBやメールに対応しながら駅のホームから落ちたり、急に立ち止まって後ろからどやされたり、駅のコンコースを歩きながら歩きスマホ同士で正面衝突したり・・・はしない。携帯電話は音声通話とショートメール機能だけに徹しガラ系を死守し、FBはパソコンでしかしないと決めているから。

京都のテーマなのにいきなり何故FB?何故スマホの話?それは長年京都ファンの私に、改めて京都の事を考えようと思わせてくれたのが、時々FB上で連絡を取り合う北九州・小倉の小学校時代の幼馴染が主宰している京都・奈良好きの写真投稿サイトに入れられた為、昔撮影した京都の画像などを投稿するようになったことがその理由。それに何を隠そう、まだ直接逢った事が無いFB上で知り合った関西在住の京都ファンの御仁との京都談義。彼は大阪の奥座敷の高級住宅地に住んでいる幅広い知識の持ち主で、目から鼻に抜けるような見識で物事を鋭く考察する人物なのだ、どちらかというとロック好きの哲学者+雑学者といった所だろうか?

この御仁が、その昔京都に下宿し生活した経験のある大の京都事情通であり、現在の京都を大変心配されているのだ。「京都はこのままで良いのか?京都は大丈夫なのか?」という訳だ。そのやりとりの中に「イケズ」と言う言葉が出てきた。自分が40年前京都に行った時にされて面くらった意地悪がその「イケズ」だと言う事らしいので興味をひかれ、ちょっと研究してみた。

事の始まりはFBでのこの投稿だった。ある本に『京都では「ぶぶ漬けなど、いかがどすか?」と聞かれたら、「そろそろ帰ってくださいな」という意味だといいます。 ぶぶ漬けとは、お茶漬けのこと。酒呑みにとって、最後に食べるものなので、転じて、そういう意味になったのだと、よく説明されています。さらに、もし本当に食べて帰ったら、もののわからないヤツというか、空気の読めないヤツとされる、といいます。本当でしょうか?』と在りました。その昔1975年頃VANの宣伝部に居た時に京都のVAN・SHOPオーナーの私邸へ案内され、色々話をした後、茶漬けを勧められ、ご馳走になり帰京しました。そうしたらえらい剣幕でVAN京都営業所長から「あんたら、本当に食べて帰ったらしぃな?」と怒られて驚くやら頭に来るやら。そんな裏表のある客扱いするならこちらにも考えが在る!と東京の展示会の時に事の次第を暴露し皆の前で大恥をかかせて返り討ちにしたことがあります。もう今では人種が違うのだからしょうがないとは思いますが、大好きな京都に在って唯一馴染めない点がこの人間の部分です。この件以来今でも初対面の京都の人は簡単に信用しません、相手を視ます。しかし海外からの外人さんにもそうするのだろうか?」と書いた。

そうしたらそういう意地悪を現地では「イケズ」と言うことを教わった。それで京都の「イケズ」の背景に関してちょっと考えてみた。自分が思うに意地悪と悪戯は違う。悪戯は戯れ、ふざけの類だが、相手が地元の風習を知らないことを判っていて、罠にかけて恥をかかせ、馬鹿にし、影で笑う意地悪は卑怯以外の何物でもない。勿論「イケズ」には色々な種類が存在しT・P・Oによって使い分けるのだろうとは思うが・・・。

住んだ事も無く、観光客としての存在でしかない自分にとってはあまりに大きな、それで居て他人事の「京都」だが、遡って整理してみたらまんざら縁が無い訳でもなかった。少しはかたっても(加たる=熊本弁で参加するという意味)良いのではないかと思った。まんざら・・・というのは、我が先祖=常陸の国・麻生藩一万五千石新庄家の家系に岩倉具視卿の名が在る事、我が父新庄一郎(時が時なら野球好きにはたまらない名前?)が京都帝国大学・理学部応用化学科卒で南禅寺湯豆腐屋の二階に下宿していた事、またその息子の私が現役で京都大学工学部建築学科を受けて落ちた事など、遠からぬ縁が在ったと言うことを指している。

一方で自分自身は1963年の中学校修学旅行以来、46回の京都訪問を重ね、観光客としては随分ベテランの域に達した感がある。人ごみが大嫌いな性格で、あまり観光客が行かない場所への訪問が多く、雑誌の京都特集や観光ガイドとは違う季節、場所を数多く観て来た自負は有る。

北九州小倉、熊本の八代で小学校~中学校時代を過ごし、中二から今まで東京で生活してきた自分にとって国内の旅行訪問先は京都が一番多い。熊本県庁の依頼や八代市役所の依頼業務、さらにはヤマセミの撮影をし始めた2006年以降は勿論熊本訪問(計70回以上)が多いが、単純観光旅行となると京都が圧倒的に多い。要するにそれだけ京都という場所には自分を惹きつける何かが沢山存在するわけだ。

其処で色々過去の京都に関する自分のデータを調べてみた。1972年晩秋、横浜国大教育学部・美術専攻科に私が在籍中、京都に日本美術史の単位習得のための合宿があった。その為、暫く京都に滞在した際に作成した京都に関しての資料が出てきた。以下はまったくをもって断片的な学問による勝手な自分の解釈・印象・思い込みなのだが、自分の京都に関する頭の中がこれによって出来上がっていることを思えば、非常に重要な内容と言える。

    京都庶民の意識・生活の変遷。
平安京の頃から明治維新まで天皇が居住していた京都こそ日本の中心であり、全国から京へ来ることを「上る」と言わさしめ、京都在住の庶民も長い事「日本で一番=偉いのだ」という京の都で生活している誇りプライドが在ったと思う。当然モノに対する考え方、京都以外の者に対する見方は上から目線になる。これは現在東京が国の首都で、「上京」という言葉が存在するワリには東京在住者自身にその誇りプライドなどほとんど無く、むしろ地方在住者が「東京」に対し強く憧れ意識を持っている状況とはいささか趣を異にしている。何故なら50年ほど前から急増した東京在住者は全国からの寄せ集めの移住者であり、単なる田舎者の集積地になっているからだろうとは思う。断っておくが此処で言う「田舎者」という言葉は決して差別ではなく、上から目線の蔑んだ物言いではない。全国各地から人が集まる、ある意味インターナショナルな首都圏で、其処での一般ルール・秩序・常識を守ろうとせず、強引に自分の育ったエリアの常識と方言で中央突破しようとする者に対する戒めであり、アメリカにもイギリスにも存在する言い回しである事を指している。
 
    京都の公家・坊主・神官など特殊階級の生活が主流だった頃。
平安時代まで政治・経済を司り、荘園からの上がりで豊かな生活を送っていた公家は、宗教関連にも多額な寄付を行い、政事中心として宗教と政治が密接に繋がった特殊社会、身分制度のかっちりとしたある意味秩序の確立がなされていた。日ごろ禁欲・精進の坊主達も月に一度の解禁日には山から降りてきて色街で女を抱き、動物を食らって「生臭坊主」となる為、花街も料亭も潤った訳だ。全てこれらの財源が政治と結びついたお布施・寄贈にあることは勿論。

    武士の時代(鎌倉時代以降・特に江戸時代)の京都の事情
それが、平清盛の武士の地位向上、源頼朝が鎌倉幕府を開いた結果、世の中は武士が主導権を握る世界になった。その結果、公家達の収入源であった荘園なども武力で武士に奪われるなどして、公家ならびに宗教勢力は順次力を失う事になる。その後更に織田信長など過激派の台頭で比叡山の僧兵・一向宗など宗教武装集団も消滅し、宗教が政治へ口出しできなくなっていく。当然公家は残った荘園からの上がり、花、お茶、香、書、絵、その他伝統文化行事・習い事の免許授与、武家への位授与、武家との婚姻による援助などで武家に媚び諂いながら細々生きる事になり、史上最も恵まれない長い時期を送ることになる。
 
    幕末の京都
この長き武家社会(=江戸の徳川幕府)中心の世の中が、薩長土肥の維新勢力の台頭で再び天皇中心=公家中心の世の中になり、江戸に奪われていた京のNo.1の地位が復活しそうだという事で、大いに京の街は盛り上がった。これが庶民から世直しに繋がる、薩摩の陰謀とも言われた「ええじゃないか、ええじゃないか」の騒ぎに繋がる。幕末・明治維新の原動力は単に外様勢力の政治的動きだけではなく、京都市民が再び「一番」の誇りとプライドを取り戻せそうだ!という事で、新撰組より薩長土肥の浪人たちを援助した庶民パワーの底力によるところも大きなものがある。

    維新後の京都
しかし、実際に明治維新が成ってみると、国内の主導的パワーは薩長土肥の褒賞・主導権争いの内部抗争に移り、なおかつ東京遷都という予想外の事になってしまう。これを機に皇室御用達の老舗黒川虎屋なども天皇に付いて一緒に江戸に行ってしまうなど、再び京都が全国の中心になるはずだった京都庶民は当てが外れてしまった。一旦は皆で待ち望んだ首都復活の夢が崩れ去ったこの時、京都で生活を営む全ての人々が、東京(江戸)という「都市・人間」を心の底で怨んだのだと思う。これは名刹寺院・神社・有名茶屋・菓子処・呉服処など全ての産業も同じ思いであったと推察される。
 これらの苦々しい経験が京都人のモノの考え方、人との接し方に独特の裏表、相手からのリアクションを眼中に入れない「イケズ」を生み出したのかどうかは判らない。しかし平安時代など京都が全盛の時代から庶民にそのような「イケズな癖・ライフスタイル」が在ったという話は聞いた事がない。維新後、幕末のある意味中心舞台だった京都が、人心をまとめ協力姿勢を得られねば就任できない地位である首相を3人しか輩出していない事実、なおかつそのうち2名は西園寺氏(公家)東久邇氏(皇族)出身であり、そうではない芦田氏はたった7ヶ月しか就任していない。それ以外もある意味日本の中心都市の割には京都出身の政治家は決して多くない。最近では野中広務、前原誠司程度が耳に残るが、決して彼らを崇拝し後に付いて行こうとする者は居らず、孤高の一匹狼的動きしか出来ていない。この辺りに京都人の独特のスタイルが出てしまっているような気もする。断っておくが、あくまでこれは個人的見解であることは勿論だ。

一方でこういう話もある。

    京都人独特の嫌らしい習慣の「イケズ」を象徴するといわれる「合わずの間の屏風絵」の話
 山科の天台宗五箇室門跡・毘沙門堂に通常は”梅にウグイス、竹にスズメ” の組み合わせで描くはずのところを、梅に山鳥、竹にヒヨドリが描かれた襖のある客間が存在していて、ここに通された客は「木に鳥が合っていない」 「鳥が合わない」→ 「とりあわない」・・・ウチはあんたには取り合いません、お帰りくださいというイケズなんだそうだ。これに気づかない場合、教養がないヤツだと馬鹿にされるのだとか・・・。非常に嫌らしい陰湿さを感ずる。

 しかし、この話などは、実は巷の街雀が噂話としてまことしやかに言い伝える、いわば昔の都市伝説に近いと思う。何故なら当の毘沙門堂のHPには一言もこの事が述べられていない。大体狩野派の著名な絵描きに、客を追い返すための屏風絵をわざわざ描かせたりするだろうか?画家は本来自分が納得したものしか描かない。もし京都人がその「イケズ」を良しとするのであれば、他にも同類が在ってしかるべきものだが一つも無いようだ。


 大体、花が咲いている梅に本来藪の中で生活するウグイスは来ない!頻繁に来るのは梅の花の蜜を求めるメジロであって、メジロとウグイスの判別も出来ない無知な人間にこのような問答のような屏風を見せて何が判るものか。それに屏風を良く見ると梅ノ木そのものにはちゃんと別の小鳥が描かれているではないか。山鳥が梅に留まっている訳ではないのだ。よく調べもせず「~らしいで。」と人の噂を鵜呑みにして言い伝える事自体PRになると踏んで、噂を野放しにする事こそが逆に京都人の「イケズ」だと思うが如何だろう?

      鯖寿司の「いづう」での実話
 押し寿司が大好物の私は祇園の小路にある「いづう」の鯖寿司・小鯛雀寿司の盛り合わせが好きで、1972年以来、鍵善義房と此処だけは必ず通ったものだ。それが在る時をもって店では食べなくなった。
鯖寿司のいづう

鍵善義房のくずきり、42年間食べ続けている。

 以前は帳場に凛とした御婆さんが座っていたのだが、1995年頃から若いお兄さんが座る時があった。在る時、観光客が「いづう」と「いづ重」の関連をこの兄さんに質問した所、大声で自分のお店「いづう」の自慢を始めた。
 
店内の客人たちにもPRするつもりなのだろうか、のれん分けした「いづ重」の悪口・罵詈雑言を大きな声で立て並べたのだ。その上から目線的な発言、食べさせてやっている~的な無礼な言い回し、決して安くは無い押し寿司がとても不味くなった。

 食事をしている他の客も皆シーンと黙って白けてしまい、せっかくの老舗らしい食事の場が味気ないものになってしまった。さすがにこちらも腹が立ち、意を決して帳場に赴きこう言った。「今まで親子3代贔屓にしてきたが今日限りで止める。京の食事処は客が美味しく食べる環境には気を使うつもりは無いらしい。残念だ、いつも座っていたおばあさんとはあまりに違うな君は。「いづう」さんもそんなに長くはないね?」と言って叱った。
 そうしたら客の一人が拍手をし始め、狭い店内の皆も拍手をし始めてしまった。なおかつ、口を尖らせて反論しようとするお兄さんが顔を真っ赤にして黙る一言が客の子供の口から出た。「お母さん!いづ重の鮎寿司も美味しかったよね?」これで「いづう」の帳場担当は陥落。
いづうの鯖と小鯛雀寿司の盛り合わせ。

 要は、京都の仕事人は自分に、あるいは暖簾に余程の自信と誇り・プライドが在るのだろう。ただその表現の仕方が「上から目線」になってしまう井の中の蛙なのだと思う。悪く言えば世間知らず、お山の大将。誇りは無くしても困るのだが、客商売で客の機嫌を損じてしまっては逆効果ではないだろうか?

 その点あぶらとり紙の「よーじや」さんや「イノダコーヒ」さんは同じ京都人でありながら、上手い商い方法をしているような気がする。私は決して一部を見ただけで京都全体を評価したり決め付けたりはしないが、徐々に京都も変わっていくのだろう。
あぶらとり紙のよーじや

イノダコーヒ。珈琲をコーヒーと伸ばさない。

 「イケズ」がどんなものだか、まだあまり詳しく知らないが、別に知りたいとも思わないし、受け入れようとも思わない。ただ、嫌な気分にされた場合は倍にして返そうとは思う。しかし「イケズ」を知らなくても自分にとっての京都は昔のままで充分な魅力を持っているのだから。

地元京都にお住まいの方や我が故郷と思っている方にとっては、このブログ内容は「何だこいつは?出鱈目を書きやがって頭にくる・・・。」と異論反論で腹を立てる内容になるかもしれないが、関東からの一観光客の戯言と思い頂ければと思う。自分はそうは思わない・・は当然あると思う。そういう場合は是非ブログの http://yamasemi.org/contact_us.html からお願いしたい。公共の場のFB上に書かれても対応はしない。