2013年8月2日金曜日

The History of Japanese windsurfing Part 2. 日本におけるウインドサーフィンの歴史と共に その2.

 In 1984 January I moved to Hakuhodo Advertising Company. One of the conditions of the entering Hakuhodo was to be able to do windsurfing-related. The purpose was met immediately. In 1985 Japanese Part-time job magazine "From A" which my first client in Hakuhodo, started to support the windsurfing item with new concept.That was Team racing by three windsurfers.

 1984年の1月ウインドサーフィンのより大きな大会をプロデュースするために博報堂に移り、翌年アルバイトマガジン「フロム・エー」をスポンサーとして新しい概念の3人一組で行うチームレーシング・イベントをスタートさせた。これは会場地の鎌倉由比ガ浜に駐車場が少なく、少ない車両数で多くの参加者を参加させるという厳しい条件が有って初めて生まれたイベントだった。1台の車にウインドサーフィンを3本積んで3名が乗って来れば100台の駐車数で300名が参加できるという目論見だった。
初回は民放テレビ局が面白いという事で特番放送をしたため一気に認知度が上がった。

 開始後3年が経った頃、参加希望者が殺到し、出場権は抽選で決まる事に成った。この人気のお蔭で出場権が高額で売買されたり、替え玉出場をする選手が現れたりで結構な騒ぎになった。博報堂内に作られた事務局、プロジェクトルームは常に根岸聡氏(全日本選手権2回優勝)を中心にその後の日本におけるウインドサーフィン界の中心人物たちが朝から晩まで運営準備を行ってくれた。事前事後を挟んで数多くのトラブルが現場では起きたが、根岸氏のお蔭で博報堂もクライアントであるリクルートも何度もマスコミネタに成らず助かった。そういう意味では彼の裏での幅広い活躍に支えられたイベントであった。

 ウインドサーフィン業界自体登り調子の時期という事も有って、協賛スポンサーも集まりやすく、メインスポンサーのリクルート社も長い目で育ててくれた為10年間も続く一般参加の大きなマリンスポーツイベントとなった。最盛期にはハワイでのウエイブ&ジャンプの大会もスポンサーし、ハワイのプロ選手たちがその為にわざわざ特別のAWSPという組織を立ち上げて全面的に協力をしてくれた。この件は又別途ブログアップする予定。

FromA cup windsurfing team racing was held at Yuigahama Kamakura. Since'85~'93.
初期のころのロングディスタンスと思われる画像。稲村沖だろうか。風向きによっても回航マークを打ちかえなくて良い菱形のコースを周回するチームリレーなど数多くの面白い競技種目が考案された。
 
Colerful sail was presented to all the participants. Because more than 3,000 pieces would spread out in Japan.
ニールプライド社製のセイルは毎回参加者300名に参加賞として贈られた。その結果9年間で10回の開催により全国にフロムエーのロゴの入ったセイルが3000枚以上広まった訳で、ある意味面白い息の長いプロモーション・ツールになった。
 
After the event, It is souvenir picture every time.
毎回、最終日には皆で記念撮影を行った。今であればどれだけFacebookなどで全国にこの画像が広まるだろう。ちなみに左端であらぬ方向を視ているのが24年前の筆者。

When the most of competitors going out the ocean, some events were held on the beach side for audiences.
選手が全員沖に出てしまった後には浜辺の観客用に地引網やウインドサーフィン無料レッスンが行われて会場近隣の方々に好評を博した。第1回目の協賛スポンサーのトップだったキリンシーグラム・チンザノの責任者が「是非ウチもこういうのをやりたい!」とリクエストされ、「お酒が取り持つ男女の仲」をコンセプトに男女カップルで参加する2名1組の「チンザノカップ」が1986年から開始された。この大会ではカップル出場が縁で結婚した組が2~3組あった模様。